日劇と自分
日劇と自分
物心ついた時にはすでに「日劇」って存在は知っていた。
理由は小さい頃から「東京宝塚劇場」をよく行かされた(付き添い)途中に大きな建物があるなぁ…との認識と羽田空港に行くまで浜松町を経由する間、あぁ〜あの綺麗な建物があるなぁって感覚だ。かれこれ30年も前だ。
「84 ゴジラ」を観た時(テレビ放映)に小さい自分はストーリーそっちのけで
「随分と低いところに新幹線が走ってるなぁ〜有楽町だろなぁあそこ」
「あ、やっぱりあのまぶしい建物だ。」
と思っているくらいだったのでドンピシャだったのである。
今だからわかる、日比谷線付近の地下道で脚を取られ、日劇を引っ掻いちゃうシーン。
漢字が読めるようになって
「ニチゲキ=日劇」
「日劇→日生劇場じゃありません」
「日劇→日本劇場 日本最強(妄想込み)」
新聞の映画公開記事が金曜日の夕刊下半分占領して、大きな作品は必ず「日劇」は書いてある。地方によっては違うけど、地元の映画館なんて半分も及ばない字で書かれている。いつしか憧れの聖地となっていった。
宝塚劇場と同じ考えで
「きっとあんなにすげえとこで見られるだから料金はハンパない値段をとられるんだ…ブルジョアに違いない。」
と考えていた時期が恥ずかしい…記事には小さく統一料金が書いてある。そう、もちろん料金は同じである。
小さい頃は
「交通費と時間かけて東京に来るのに、近所で同じものを上映する映画館を見て時間と金がもったいない。」
という理由で日劇での鑑賞は無かったが…
大学から東京駅を使うようになって
「定期を利用して、金券ショップを利用して、講義をサボる。」
という荒業を覚え、日劇は急に身近になっていた。
さて
日劇ラストショウを大いに楽しもう。