「平成ゴジラ」は死んでも「ゴジラ」は死なない。
昨日から日が暮れて同日池袋で行われた「モスラまつり」に気持ちが偏っていた…強妻帯者持ちである私は究極の選択で「バーニングを選んだ」ってことになる。迷う事なき選択だったが怪獣好きには相当たまらない。断腸の思いである。
さて、話を戻します。
昨日の「バーニングトーク 2部」での質問コーナー、大河原監督に対して「続編を作るなら新生ジュニアをどう作るか?」「新生ジュニアに何と戦わせたかったか?」という質問が連発した。
大河原監督は「『ゴジラ死す』をテーマに全てを出し切った作品であるから…ああいう終わらせ方だから次への期待が出てしまうかもしれないけどそうではない。」
という回答をしていました。
二つ目の質問も苦笑い「もう充分戦ったでしょう笑」
「デストロイアに関しては平成シリーズでゴジラ型怪獣(メカゴジ、スペゴジ)と続いたもんだから、案としてのスケルトンゴジラ(有名なゴーストゴジラか?)はボツでした。」
平成ゴジラファンとして監督からの回答はとてもスッキリしました。
当時14歳で観に行った私は初日を観終わった後、「特報が出るかもしれない。」という思いで上映最終日の夜、こっそり観に行ったのである。しかしラストは荘厳で優雅に散るゴジラの中新生ジュニアの遠い咆哮が近づいてくるお馴染みのラスト。
…結果はゴジラの最期は変わらなかった。当たり前である。監督が終わらせるために作ったゴジラ作品だからです。
これ以上スッキリするものはなかったな。
心の中の「リトル私」が何かにとって期待してしまっていた、終わることも必要なんだって。
まったくもって作品の本当のメッセージを拒否し続けていた「リトル私」は遂に監督直々の声で作品のメッセージを受け取り完結しました。
(H30/1/13 バーニングトークより)